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そうだったのか!倶知安町・ニセコ地区の歴史について

2019年6月28日 by akalink

 現在、非常に人気の高い、倶知安町・ニセコ地区ですが、その価値が高騰していることについては、これまでの北海道の歴史があります。今回は、倶知安町・ニセコ地区を含んだ北海道の歴史を、詳しく解説していきたいと思います。

目次

  • 北海道の歴史
    • 先史時代
    • 中世
    • 近代北海道
  • まとめ

北海道の歴史

それでは、以下、北海道の歴史を簡単にまとめてみたいと思います。

倶知安町・ニセコ地区の歴史について

先史時代

 北海道に人が住みはじめたのは、約2万年前の氷河期と推定されています。人類はシベリアからマンモスなどの大型哺乳動物を追って宗谷海峡を南下しました。そしてさらに氷河期が終わると本州からも渡来したものと考えられています。

北海道内で最も古い遺跡は、千歳市の祝梅三角山遺跡や上士幌町の嶋木遺跡などで、旧石器時代の遺物は北海道内各地で発見されています。本州においては、縄文時代が終わると弥生時代へと移行しますが、北海道は気候の面から稲作が難しいこともあり、今までと同じ漁や狩猟を中心として生活が続いていたため、続縄文時代と称されます。

本州の飛鳥時代から平安時代に当たる時代においては、土器は煮炊きに使用する深鉢形のものが中心となり、本州から土師器(はじき)や須恵器(すえき)なども流入していたようです。その時期のことを、土器の表面を刷毛で擦った痕があることから、擦文(さつもん)時代/擦文文化と呼んでいます。

擦文文化とほぼ並行して、北海道北部から東部のオホーツク海沿岸にかけてオホーツク文化が生まれます。日本海沿岸である倶知安・ニセコ地区も含んだ後志地方にまで波及した可能性があるといわれています。稚内や紋別、網走、羅臼、根室などの遺跡からは釣り針やモリ先などの発達した漁具、アザラシやトドの骨が発見されています。

オホーツク文化が後期を迎えると擦文文化の影響を受け、両者の文化を取り入れたトビニタイ文化が生まれ、土器や竪穴式住居もそれぞれの文化を融合した形となっています。

中世

 擦文時代とトビニタイ文化のあと、北海道の先住民族とされるアイヌの人々の文化時代が訪れます。13世紀頃、本州から北海道南部に和人が進出し、彼らとの交易が盛んになり、アイヌの暮らしに大きな変化をもたらします。

15世紀後半を過ぎると和人の活動領域が広まり、アイヌと和人の対立が激化しますが、その争いを鎮定したのが蠣崎氏であり(のちの松前氏)、松前藩が誕生するとアイヌ民族との交易権を独占するようになりました。

しかし、18世紀になると松前藩はアイヌへの支配を一層強めます。アイヌは、狩猟、漁猟、農耕などで、サケを主食とし、秋には遡上するサケを大量に獲り燻製にして保存食としていました。また、粟や黍を栽培しており、炊飯や粥で食べる生活を強いられていました。

倶知安町・ニセコ地区の歴史について

近代北海道

アイヌの民族的なまとまりが強まるのは、日本の鎌倉時代から戦国時代にかけてです。この時代に本州から和人が進出し交易が行われるようになりますが、いざこざが絶えずアイヌの人々は武装蜂起を行うことになります。主な戦としては、次の3つがあります。

1456年、道南で和人の鍛冶屋がアイヌの少年を殺害します。翌年、渡島半島(道南)東部の首領コシャマイン率いるアイヌ軍は和人の居館を攻め落としますが、松前藩主であった松前氏の始祖・武田信広の策略でコシャマインは討たれてしまい、アイヌ軍は敗北してしまいます。これをきっかけとして、和人の支配が強化されることとなります。

1669年には、太平洋側の日高地方でアイヌの狩猟採集場をめぐる争いに端を発し、アイヌと松前藩が激しく争うことになります。争いは互角で和睦となりましたが、酒宴の最中に首長のシャクシャインが謀殺されてしまい、結果としてアイヌ軍は敗れてしまいます。

1789年、オホーツクで場所請負人の商取引や労働環境など横暴な和人の振舞いに怒りを感じたアイヌの人々が蜂起に出ます。この際にも、松前藩は出兵しますが、近辺の首長らの説得により戦闘には至りませんでした。

とはいえ、和人の死者72人であり、蜂起の中心となったアイヌの37人は処刑されています。これがアイヌの和人に対しての最後の武力抵抗となり、和人による政治経済的支配はさらに強まっていきました。

1604年に松前藩が誕生してからは、経済基盤としてアイヌとの交易が盛んでした。その交易を独占するために和人地と蝦夷地に分け、境に関所を置いて行き来を厳しく制限したことも有名です。

松前藩では、家臣たちにアイヌとの交易権を与えました。蝦夷地内に設けた各地の商場で交易が行われ、さらにアイヌは松前藩以外との交易を禁止され、交換相場も下げられてしまいます。

安政元年(1854)、アメリカ人のペリーは軍艦8隻を率いて再び浦賀に来航し、交易のためいくつかの日本の港を開くことを要求し、翌年、日米和親条約が締結され3月に下田港と箱館港が開港されました。

開港後、箱館には欧米人が渡来し、洋館や和洋折衷の建物が次々と建てられ、北海道の近代化の先駆けとなり、特に函館山東麓の元町周辺は交易や外交の中心地として栄え、現在も往時から昭和初期にかけて築かれたハイカラな洋風の建物が多く残されています。

まとめ

・北海道に人が住みはじめたのは、約2万年前の氷河期。

・アイヌの民族的なまとまりが強まるのは、日本の鎌倉時代から戦国時代。

・開港後、箱館には欧米人が渡来し、洋館や和洋折衷の建物が次々と建てられ、北海道の近代化の先駆けとなった。

以上、「倶知安町・ニセコ地区を含んだ北海道の歴史」をお伝えしました。
最後までお読みいただき、有難うございました!

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Filed Under: 歴史 Tagged With: アイヌ, オホーツク文化, 中世, 戦国時代, 歴史

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